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明るいニュースですね。

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年10月 8日(月)23時14分16秒
返信・引用 編集済
  ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥教授の記者会見の模様、じっくりと聞きました。
『感謝』という言葉を何度も仰ってました。研究の支援をしている大学、多くの同僚、いつも私を励ましてくれた友人、そして家族に心から感謝の意を表したい」と述べられたいました。
国の支援についても何度も『感謝』の言葉を述べられていましたね。
しかし、山中教授は「公的資金でまかなわれる研究費について、平成26年度以降のめどが立ってないとし、研究には民間の協力が必要」と訴えておられるそうです。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121008/art12100822360009-n1.htm


2年前のことを多くの国民が忘れてしまったかも知れませんが、こんなニュースもありました。

山中教授 事業仕分けを批判

政府の行政刷新会議の事業仕分けで科学研究の予算の廃止や削減が相次いだことについて、あらゆる組織や臓器になるとされる「iPS細胞」の作成に成功した京都大学の山中伸弥教授は「想像を絶する事態で、今後の日本がどうなるのか深く憂慮している」と厳しく批判しました。

これは、25日、山中教授が京都大学の記者会見で述べたものです。この中で山中教授は「この分野の研究を10年続けてようやく成果が出たが、10年前の段階でどの研究が成果につながるか予想するのは不可能だ。多くの研究者のさまざまな研究を支援し、そのうちのいくつかが成果につながるというのが科学だ」と指摘しました。そのうえで、政府の事業仕分けで科学研究の予算の廃止や削減が相次いだことについて、「ありえないことだ。そもそも日本は科学研究費の割合が低く、海外より10年、20年遅れた劣悪な環境で研究をしている。その中で予算を削減するのは想像を絶する事態で、今後の日本がどうなるのか深く憂慮している」と厳しく批判しました。さらに、「日本が科学の後進国になり若い研究者から希望を奪うことにならないよう祈っている」と述べて、科学研究の十分な予算を確保すべきだと強調しました。
(NHKニュース)
http://www.nhk.or.jp/news/t10014003541000.html



 
 

私は『アライグマン』?

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年10月 4日(木)16時40分9秒
返信・引用 編集済
  以下は、夕刊フジの記事

 内閣府発表の「平成24年版 子ども・子育て白書」によると、結婚する意志のある未婚女性の96・4%が結婚相手に“家事の能力”を求めていることが分かった。そこで花王の食器用洗剤キュキュットは、既婚者832名(男女各416名)を対象に、家庭における家事の分担に関するインターネット調査を実施。その中で、子どものいる妻が夫にやってほしいと思っている家事は、「育児・子育て」より「食器洗い」の方が上にくることがわかった。

(中略)

 これらすべての調査から、「食器洗い」をする夫を持つ妻は、しない夫を持つ妻より“家庭生活の幸福度が高い”ことがわかった。

----------- 転載終り -----------

まっ、食器用洗剤のインターネット調査だから、上のような結論なのだろう。「食器洗い」する、しないで“家庭生活の幸福度”がわかるはずはないと思うけど。

我が家は、子は全員独立し、育児とは無縁だが、私のようなシルバー夫婦においても、妻が夫に望む家事は、
やはり、1位「ゴミ出し」、2位「浴室の掃除」、3位「食器洗い」と変わらないのかな?
“家庭生活の幸福”のために、「食器洗い」をやらされている私は『アライグマン』?
 

一番公正な歴史教科書は日本

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 9月27日(木)20時42分11秒
返信・引用 編集済
  スタンフォード大学調査報告 『日米中韓台の比較研究で分かった一番公正な歴史教科書は日本』

http://iis-db.stanford.edu/res/2260/Divided-Memory_In-house_2008.pdf

上記をグーグル翻訳などで開いてみてください。

日本の教科書
今回比較した中では日本の教科書が最も愛国的記述がなく、戦争の賛美などは全くしていない
日本の中国進出についてのくだりは全く事実をそのまま伝えており、
当時の軍と政府のリーダーたちの責任だとしている
非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。


韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの意識の形成に強く焦点を当てている。

自分たち韓国人に起こったことを詳細かつ念入りに記述している。
韓国の教科書は、中国で起きた戦争に関する記述が希薄だ
韓国は日本の中国に対する行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある

私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の教科書には広島長崎の原爆投下の記述がないことだ。
それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない。

米国の教科書は日中戦争について多く語っていない。
米国の教科書は、第二次世界大戦について、アジアよりもヨーロッパでの戦争の方により焦点を当てる傾向がある。
ニュルンベルク裁判についてはたくさんの記述があるが、東京裁判については大変少ない。

中国の教科書
歴史学の観点から見て、最も問題が多いのは中国の教科書だ。
中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、
非常に政治化されている。太平洋戦争に関してほとんど記述がなく、広島・長崎の原爆投下もほとんど言及していない。

中国の教科書は2004年に改定されているが、改定後は中国人の愛国心を謳い、日本との戦いを強調している。
内戦の話は後退し、抗日戦線での勇ましい描写が増えた。南京事件などをより詳細に記述するなど、
日本軍による残虐行為もより強調されている。つまり中国人のナショナリズムを煽っている。

-----------------------------------------------

2012年9月22日、香港誌・亜洲週刊は「ナショナリズムの操作が招いた報い」と題した記事を掲載した。米華字サイト・多維新聞が伝えた。

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=64935

1990年頃から新世代の指導者たちがナショナリズムを利用して失いつつある共産主義イデオロギーを取り戻そうと画策し始めた。「被害」「屈辱」といったキーワードは格好の起爆剤となる。その最も手軽な供給源とされたのが日本だった。中国各地に点在する「愛国主義教育基地」。ここで少年少女たちは中国の屈辱の近代史を突き付けられ、中国共産党こそが祖国を屈辱から救い出す唯一の存在だと刷り込まれる。

1999年の反米デモ、2005年の反日デモ、そして2008年の外国人排斥気運といったナショナリズムが引き起こした過去の“ゲーム”は、義憤にかられた表情の参加者たちが「打倒!日本帝国主義」「日本に宣戦布告」といったスローガンを一通り叫び終えると、最後には必ず「中華人民共和国万歳!」に戻ってくるというパターンが決まっていた。

結局は当局のコントロールが効く範囲に収まっていたのだが、今回は違う。暴力のレベルが人々の想像をはるかに超えていた。これはここ数年、増え続ける社会の矛盾と関係が深いことは間違いない。民衆は不満を吐き出さずにはいられなかった。暴徒化したのは将来に何の希望も見いだせない人たち。尖閣もしくは日本という存在は単なる口実でしかなかったのである。

これがもし、大量の警察官が動員されていたら、市民らは堂々と破壊行為になど出られなかった。確かに「道徳観の欠如」を嘆く声が増えてはいるものの、公共の場で暴力に訴えるのはよくないということくらいは(特に都市部の住民は)、さすがに分かっている。当局の後ろ盾があったからこそ、あのような暴動に発展することが可能だったと考えるのが自然だ。

今回の暴動と化した反日デモは、中国の歴史上のターニングポイントに位置づけることができる。それは、この10年続いた「繁栄の時代」の終わりと動乱の時代の幕開けを意味している。社会の中の「悪」のパワーがさらに呼び起こされ、すべての人(特に都市部の中産階級)を新たな恐怖のどん底に陥れた。

もはや、どんなに立派なショッピングセンターや高級ホテルに隠れても、安心感は全く得られない。人々は否が応にも現政権の「維穏(社会安定の維持)」体制に頼らざるを得ない。だが、今後はこうした悪循環が加速することで、理性を求める声は一層出しづらくなり、一部の極端な勢力が中国社会全体を牛耳るようになっていくだろう。

このような低迷に向かっていく負のパワーが今、台頭中の中国にがっしりと絡みついているのである。
 

団塊の世代との決別なるか

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 9月27日(木)20時15分7秒
返信・引用 編集済
  池田信夫 2012年09月27日 12:15  ブログより


書籍「約束の日 安倍晋三試論」はアマゾンでも8位に入り、66件の書評がついている。
この手の本としてはほどほどに客観的に書いている。

特におもしろいのは、朝日新聞の安倍氏に対する異常なまでの敵意だ。
若宮啓文論説主幹は「安倍氏をたたくのは朝日の社是」だと語ったそうだ。

これはまんざら誇張でもないだろう。今日の社説でも、朝日はこう書いている。

“前回の首相在任中を思い出してほしい。5年前、慰安婦に対する強制性を否定した安倍氏の発言は、
米下院や欧州議会による日本政府への謝罪要求決議につながった。
靖国参拝をふくめ、「歴史」に真正面から向き合わず、戦前の反省がない。”

最後の部分を読んで、笑ってしまった。
「歴史」に真正面から向き合わないで、いまだに慰安婦問題の明白な誤報について
訂正も謝罪もしてないのは、どこの新聞なのか。戦前に軍部の暴走をもっとも熱烈に支持したのが
東京朝日だったことはよく知られた話だ。しかし彼らはこうした恥ずかしい歴史を語り継いでいないから、
若い記者が慰安婦問題をめぐって「ふざけんな。出て来い!」などと橋下市長にからんでいる。

茂木健一郎氏も嘆いているように、天声人語の情緒的な安倍批判も目に余る。

“▼とはいえ総裁に安倍晋三元首相が返り咲いたのは、どこか「なつメロ」を聴く思いがする。
セピアがかった旋律だ。当初は劣勢と見られたが、尖閣諸島や竹島から吹くナショナリズムの風に、うまく乗ったようである。”
(続く)

この朝日新聞の安倍氏に対する激しい敵意は、どこから来るのだろうか。
本書によると、護憲を社是とする朝日の方針に「戦後レジーム」を否定する安倍氏が
真正面から挑戦しているからだという。これは常識的な見方だが、それだけではこのどす黒い情熱は説明がつかない。
私は、朝日が代表しているのは団塊の世代のサンクコストではないかという気がする。

戦後すぐ教育を受けた朝日の幹部の世代にとって、平和憲法は絶対の善であり、社会主義は理想だった。
日本は非武装中立の道から社会主義に向かって「進歩」することになっていた。
しかしその後、彼らの嫌悪する資本主義がめざましい発展を実現する一方、社会主義は挫折し、
冷戦の終了でその結果は明らかになった。

しかし彼らは平和憲法の理想に人生を賭け、民主党の首脳には学生運動で人生を棒に振った人も少なくない。
彼らにとっては、「戦後民主主義」を否定することは自分の人生に意味がなかったと認めることになる。
これは太平洋戦争の遺族が戦争を批判する「自虐史観」をきらうのと同じ心理である。
サンクコストを守ることは将来の投資の役には立たないが、感情を安定させる役には立つ。

こうしたバイアスは暗黙知に深く埋め込まれているので、論理で説得することはできず、世代交代するしかない。
安倍氏は私と同じ世代なので、朝日が考えているような「右翼」ではなく、軍事が国家のコア機能だという
常識的な考え方に回帰しているだけだと思う。その意味で、民主党から自民党への政権交代は、
団塊の世代との決別という意味が大きいのではないか。


---------------------------------------

以下はワイドショーのテレビ番組

ワイドスクランブル テレビ朝日に対して逆切れする中国人解説者

「習近平に近い人物が胡錦濤の側近になった事によって、その人物に命じデモ動乱と尖閣への船の派遣をさせた。」という情報があると アナウンサーが語ると、
中国人の解説者が「ここは朝日だ!朝日が産経新聞のようなこと言ってどうするんだ!
朝日は朝日らしくするべきだ!」

http://www.youtube.com/watch?v=7GdS1flXSCE
 

Re: 幌尻岳と豊糠の地

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 9月14日(金)22時22分6秒
返信・引用 編集済
  > No.1739[元記事へ]

写真帳に幌尻岳山行のスナップ写真を掲載したところ、新月さんから「北海道の山の山頂には祠等がありませんね。アイヌは自然全体を崇めているためと思います。」とのレスがありました。
新月さんが仰るように本州から九州までは「山頂に祠」がある山も多く、中には「信仰の山」として崇められている山もあるのに、北海道の山の頂には祠がないのは何故だろうかと感じました。

映画「剣岳 点の記」の名場面、明治40年に陸軍参謀本部測量官の柴崎芳太郎の一行が、剱岳山頂で「錫杖頭」を見つけたことが私の頭の中から離れなれません。
錫杖頭が剣岳山頂に置かれた当時の気候・植生などについて想像を巡らし、「錫杖頭」を題材に小説を書いてみたいという、途方もない思いを未だに持っています。
(多分、思いは叶えられないでしょう。大筋の構想はありますが、文章力がなさ過ぎます。)

この「錫杖頭」については、立山博物館と元興寺文化財研究所(奈良市)が蛍光エックス線分析を専門業者に依頼したものの、制作年代や制作地は最新の手法でも特定に至っていません。
錫杖頭の制作年代については、発見から4年後の明治44年、考古学者の高橋健自が論文の中で、素朴な形状から「奈良時代末期から平安時代初期」と推定し、以来、これが通説のようになっています。

さて、今回あらためて「山の神」について勉強してみようと思いました。そこで、これまで読んだ「縄文文化」や「照葉樹林文化」、「稲作の伝播」などの著者について検索した結果、二人の高名な学者の2冊の本を知りました。

「山岳信仰と日本人」(安田喜憲氏編著)、「山の神と日本人」(佐々木高明氏著)です。
(安田喜憲氏については、30年前に「環境考古学事始」を読み感銘を受け、佐々木高明氏はもっと前の40年前頃に「稲作以前」を読んだ記憶があります。前者は本箱に残されていましたが{付箋が張ってあり、2~3年前にも読み返している}、後者は廃棄でもしたのでしょうか見つかりません。)

で、この2冊を図書館で借りようと思いましたが、我が市の図書館に「山の神と日本人」はありましたが貸し出し中、「山岳信仰と日本人」は置いてなく県立図書館から取り寄せることになり、一昨日に市立図書館に受け取りに行きました。

ところが、2日経過したのに、まだ「はじめに」を読んだだけ、なんだか今の自分には読む気力がないのだろうか、そう悩んでいるところです。
ですので内容を紹介できません。代わりに目次を並べてみます。


「山岳信仰と日本人」の目次

はじめに 山は天と地の架橋(安田喜憲)
第1部  日本の山岳信仰のルーツは長江文明にある
  第1章 オビシャと長江文明(萩原法子)
  第2章 日本人の山岳信仰と長江流域(李国棟)
  第3章 雷神と観音と山神と――日本の山岳信仰に寄せて(百田弥栄子)
  第4章 山と里の民俗文化的特質(萩原秀三郎)
第2部  立山信仰研究への新たな展開
  第5章 立山信仰研究の視点(米原寛)
  第6章 立山信仰の歴史地理学的研究(岩鼻通明)
  第7章 ミクリガ池年縞堆積物からみた立山信仰の開始――なぜ人は立山に登ったのか?(福澤仁之)
  第8章 立山ミクリガ池の湖底年縞堆積物から産出した大型植物遺体
  第9章 ミクリガ池における過去一九〇〇年間の水質変化――珪質微化石にもとづく推定(加藤めぐみ)
  第10章 ミクリガ池湖底から採取した年縞堆積物からみた立山周辺の過去1300年間の植生変化(藤木利之)
  第11章 山岳植生の変遷史(守田益宗)
  第12章 山岳信仰と女人禁制――立山と羽黒山の比較から(岩鼻通明)
第3部 白山信仰は日本の山岳信仰のルーツか
  第13章 古代の日本海からみた白山と立山(小林道憲)
  第14章 白山垂迹曼茶羅図の六所王子をめぐって(黒田晃弘)
第4部 磐梯山信仰と徳一の再評価
  第15章 大和朝廷律令制国家の確立と会津地域山岳信仰の役割(小佐野峰忠)
  第16章 絹本着色恵日寺絵図を読む――新仏習合を完成させた徳一(簗田直幸)
第5部 山の神々がかたるもの
  第17章 山の神論言説批判のための覚書(金田久璋)
  第18章 仏の衣を着せられた神の山(染川明義)
  第19章 新説・山の神考(佐々木高明)
  第20章 山岳信仰と日本文明の未来(安田喜憲)
あとがき(安田喜憲)


立山ミクリガ池の湖底堆積物の年縞の研究結果から、剱岳山頂に行者が登り「錫杖頭」を置いた頃の気候・植生などについて知ることが出来るとワクワクした気持ちもあります。特に人間の活動に由来するリンの量から、立山信仰登山が何世紀から活発になったのかは、非常に興味深い。
佐々木高明氏の「山の神考」も期待するところ大です。明日からの3連休、気力を振り絞り読んでみようと思っています。
 

Re: 幌尻岳と豊糠の地

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 9月12日(水)20時51分1秒
返信・引用 編集済
  > No.1735[元記事へ]

「幌尻岳と豊糠の地」の記事で
 > 確かめに、もう一度登るかと問われれば「NO」と答えるでしょう。
と書きましたが、これを撤回しなければなりません。

文献などに当たってみたところ、私の認識が誤りのようです。
 > 地上近くで固まった発泡痕のある火山岩があるということは、火山であったかもしれないという疑問が生じました。
火山であるという証拠を示すような文献は一切見つかりません。羅臼岳から南西に延びる千島火山列は十勝岳までで幌尻岳は火山列から離れています。山頂直下でみた変成岩からも幌尻岳は火山ではないと言い切れますね。
「発泡痕のある火山岩」を示す資料もありません。七ッ沼カールの崖錐から恵庭火山からの降下軽石が見つかり七ッ沼カールの年代が判明したと書かれたものがありましたが、私が見たのは軽石ではなかったような。
それでは発泡痕とは何かということになりますが、鉱物結晶が抜け落ちた痕だったのかもしれません。このことを確かめ直さないといけませんね。

 > もう一つの疑問は「北カール」の地形で、これは本当にカール(圏谷)だろうか。窪地の西壁は急傾斜、東壁は緩傾斜と非対称、スプーンで掬ったような地形ではないのです。
 > 今回残念なことにガスがかかっていたため戸蔦別岳に縦走せず、七ッ沼カールや東カールはこの目で見ていません。
やはり、七ッ沼カールや東カールを見なければなりません。また戸蔦別岳のかんらん岩やその山腹の岩塊斜面の周氷河地形を観察しなければという思いが抑えられません。

「北カール」の軽石を発見された北大の地球環境科学研究院教授の小野有五さんらの研究によると、カールから溢れ出た氷河は幌尻山荘の上辺りまで延びていたのではないかと推察されています。
私の疑問は吹っ飛んだのです。それでは東壁はなぜ緩傾斜なのかというのは周氷河地形の破砕凍結作用で岩塊が貯まったということになるのでしょう。(西壁は雪食作用で急斜面になったのかもしれません。)
このあたりも、もう一度行き観察する必要があります。またカールの斜面は初夏に素晴らしいお花畑の様相を呈するそうですので、これも見ないわけにはいきません。

(ちなみに小野有五さんは糠平川を源流まで登り詰め北カールの中を調査されたそうです。幌尻山荘で隣り合った北大ワンゲル部の若者も糠平川を源流まで登り詰め幌尻岳を越え新冠川のゴルジュを踏破すると言っていました。小野有五さんを知らないかと聞きましたが知らないようでした。)

(蛇足ながら、2万年前頃の氷期は、この地域の名を取ってトッタベツ亜氷期、4万年前頃の氷期はポロシリ亜氷期と呼ばれています。これも小野有五さんらの研究によるものです。)

さて、下記の写真は上が幌尻岳山頂直下にあった虎模様の変成岩。中は山頂へ向かう途中で見た岩塊斜面。下はやはり山頂へ向かう途中でみた風食裸地。
この風食裸地が見られるというのは西からの強い卓越風があることを示しています。西に向いた風上の斜面は強風で雪が飛ばされ、雪が消失すると凍結破砕作用が生じ、東に向いた風下の斜面は雪崩等による雪食作用が働いているのだと思います。「北カール」の非対称壁を説明するには、そうとしか考えられません。

 

ドロンゴさんへ

 投稿者:新月  投稿日:2012年 9月11日(火)18時50分9秒
返信・引用
  毛勝山報告読んでいただき有難うございます。

ドロンゴさんなら13時間で余裕をもってOKですよ、少人数で休憩時間を短くするのがコツかな。

是非、登ってください。まだ大丈夫です、わたしよりずいぶんとお若いのですから。
 

Re: <毛勝山からの報告>

 投稿者:ドロンゴ  投稿日:2012年 9月11日(火)16時30分41秒
返信・引用
  > No.1736[元記事へ]

新月さんへ
判り易いご報告有難うございます。持つべきは友ですね。私も行きたいですが、14時間となると友達をウンと言わせるのは難しいーかな。ともかく14時間は凄い挑戦です。安平路は10年前に越百山に行ったときから、越百ー摺古木山縦走は頭にずっとありました。が、その後年と共に規模縮小で摺古木ー安平路往復が今の願望です。又、気心しれたお友達とのハードな山報告、楽しみにしています。
 

<毛勝山からの報告>

 投稿者:新月  投稿日:2012年 9月 9日(日)19時41分41秒
返信・引用
  2012年9月

2010年9月に友人二人と毛勝山(けかちやま)に挑むも、登り始めて3時間30分で膝の不調もあり下山した。わたしも年齢的に今年が毛勝山への最後の機会と捉え、前回の友人二人と挑むこととなった。友人は車で甲府から、わたしは上野から列車に乗り魚津駅前のビジネスホテルに入った。

翌朝、午前2時に起床し、握り飯2個をお茶で食べ3時にホテルを車で出た。4時前に登山口に着き、橋のそばに駐車させ、身支度を整えライトを付け4時に出発した。標高700mの登山口からいきなりの急登を所々にあるトラロープを掴み、1時間登り続けると道は少し緩やかになる。標高1060m地点であろうか、夜も明けてきてライトをしまう。

1479mの三角点を6時半に通過する。青空も見え明るい夜明けで、今日こそは山頂に立つぞと、心に決まってくるものがあった。前回戻った7時28分の時刻も過ぎ、時計を見たら7時40分であった。道は所々背丈ほどの笹があり、登山道を隠している。目の前に僧ヶ岳の威容がある。1700m峰を越えると緩やかな草原の道になる。正面にはモモアセ山が見えてきた。モモアセ山を9時に越えると草原の中にクワガタの池がある。池の形が昆虫そのものであるのが微笑ましい。

ここまで来てやっと毛勝山の稜線が間近に見えたが、山頂付近はガスで覆われていた。山頂に立っても視界は無いのかと残念な思いがしたが、直下に近づくにしたがいガスは流れ去り、山頂は青空に覆われた。山頂直下からは石が敷かれた直登の道で、空に向かって真っすぐ伸び上がっている。足元だけを見ながら登り続け10時45分に2414mの頂上に立った。登り始めてから6時間45分である。

夏雲が立ち昇る山頂の広い斜面は、緑なす芝の上に白い石が配置され、強い日差しの下、涼やかな風が渡っていた。山頂からは白馬岳が望まれ左へは雪倉岳から栂海新道へ、手前は清水岳の尾根があり、右は唐松岳、五竜岳への尾根が続いていた。また、時おり雲の中から剱岳も現れた。そばには毛勝山から続く尾根上に釜谷山と猫又山の毛勝三山があった。

山頂で30分休憩し、11時15分にもと来た道を下る。疲労感は無かったがモモアセ山を過ぎた1時頃から友人が遅れ始めた。友人を前に出し歩いていたが、急な下りになるとわたしが遅れた。山頂にいた登山者が明るい声で会話しながら抜いていく。2時くらいになると二人に会話もなくなり「休むよ」「行くよ」の言葉しか出なくなった。休んだときわたしのスパッツのベルトがスッポリと抜けて踵にあり、爪先のフックも靴紐から外れ、スパッツが横を向いていたが直す気力はなかった。

ただひたすら歩いたように思う、思考力も低く、歩いているとき一度だけ幻覚を見た。下り始めたときに抜いて行った男性登山者のザックのパッキングが、上手なことが印象に残っていたためか、そのザックが30メートルほど先の、道を横断している大木の上に載っていた。しかし、近づいてみるとザックは無かった、勿論人影も無い。でもしっかりとザックが見えたのである。

下山してから手帳の記録を見て驚いたことは、歩いていて時間は計っていないのに、2時15分からほぼ正確に30分間隔で休憩を摂っていたことである。長い登山経験からか身体が30分の経過を認識しているようである。「休むよ」と云って腰をおろし、水を2、3口飲み、そして2、3分で「行くよ」と歩き始めていていた。長く休むことの無駄は承知している。

声はかすれ、立ち上がって歩き始めたとき「歩きたくないな」と思うこともあった。しかし、冷房が効いた涼しい部屋と、冷たいビールがわたしの脳裏を時々訪れ、元気付けてくれた。下っていて気がつくことはトラロープが設置されている急斜面が多いことで、登って行くときは気にならなかった。1060m付近の最後の降下点に出たとき「あと1時間」と思うと嬉しかった。

既に5時になっていたがまだ明るく、日没前には十分下山できる目安がついた。また、夕立にもあわず下れそうである。足の踏ん張りが弱くなっているので、斜面からの転落事故と足首の捻挫に注意しながら、慎重に下り午後6時無事下山した。山頂から6時間45分で登りと同じ時間がかかっていた。

ガイドブックのコースタイムでは登り7時間、下り5時間の12時間なので、わたし達は早ければ13時間、遅くて14時間を見込んでいた。結果としては登山開始4時、下山18時の14時間である。それにしても聞きしに勝るタフな毛勝山であった。

<覚  書>

*岩場や鎖場は無いがトラロープが張られた急斜面がある。道は一本道で分岐はなく、危険を伴う山では無いが行動時間が長い。強いていえば下ってくる途中、T字路にぶつかるが右折する。

*飲料水は個人差があり、わたしの場合夏季は10時間行動で1リットルであるが予備として0.5リットル用意している。今回は2リットル持ち1.5リットル飲んだ。昼食用のお湯0.35リットルは別である。

*思っていたより暑くはなく、稜線は開かれているので風も通る。日の長い8月下旬から9月上旬が良いと思う。

*下りに弱いわたしは14時間かかったが、通常は13時間みればOKと思う。朝から雨のときは止めた方が良い。

*宿泊は通常、毛勝山登山口にある片貝山荘に泊まるが、下ってきてもシャワーもなく、勿論水は持ち込みの片貝山荘で自炊するのは大変である。魚津駅付近に民宿は無く、ビジネスホテルが複数有るので、連泊すれば登山に不要な荷は置いていけるし、何より風呂と冷房と清潔なベッドがあるのが嬉しい。わたし達が泊まったビジネスホテルは素泊まりで、個室は1泊3千4百円である。

*登山日は片貝山荘泊にして、下山したらタクシーを呼び、その間に山荘の荷物をまとめ、魚津駅周辺のビジネスホテルに泊まり、身ぎれいにして翌日帰京という手段もある。

☆コースタイム
登山口4:00、急登終了(1060m)4:55~5:00  1700m峰7:50~7:55 モモアセ山8:50~9:00毛勝山頂10:45~11:15モモセ山13:05~13:10  1700m峰14:15下降開始(1060m)17:00下山18:00

<以下は余談です>
下山して駐車場までの短い林道を歩きながら、後ろの友人に下山した安堵感と解放感から「次は何処」と言葉を投げかけたら「安平路(あんぺいじ:中央アルプス)」と返ってきた。わたしは振り返り、にっこと笑ってみせたが、今、疲労困憊に近い状態で下って来たのに、お互い懲りない面々である。

車にザックを放り込み、40分ほどで魚津駅そばのビジネスホテルに戻った。部屋の冷房スイッチを20度でONし、シャワーを浴び、着替えてから2分ほど先の食事処「えん」に行った。感じのよい女将さんが「お帰りなさい」と迎えてくれた。昨夜とおなじ「お任せ料理」を依頼した。まずは生ビールで乾杯。海のそばなので昨夜とは異なる時季の魚料理を色々と出してくれ満足であった。 (完)
 

幌尻岳と豊糠の地

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 9月 5日(水)20時59分38秒
返信・引用 編集済
  登山で日本の彼方此方の町を訪れることは、その地域を知ることに繋がり喜びです。登山口までの乗り物はバスやタクシーになることが多いのですが、タクシーなどを利用した際は運転手さんに積極的に話しかけ、地域の情報を少しでも聞き出したいと願っています。

今回の幌尻岳登山においては前泊の宿は「とよぬか山荘」で、閉校した小中学校の校舎を利用したものでした。この山荘からシャトルバスが登山口まで運行しています。
往きは、後で質問したり帰宅後に調べたりするため、じっと車窓の風景を観察しました。

「とよぬか山荘」の前にあった石碑に閉校した学校の歴史が刻んでありました。昭和22年に岩知志小学校の分校として発足し、昭和26年に岩知志中学校分校が発足し、昭和29年には小中共に独立校となり、豊糠小中学校となったと書かれていました。閉校は4年前の平成20年でした。

還りのシャトルバスで運転手さんに質問しました。「牧草地が広がっていますが牛を見かけません。酪農を止め離農されたのでしょうか。」
「この豊糠地区は、戦後に入植されたのでしょうか。」などなど。

運転手さんからの答えを整理すると次のようになります。戦後、昭和20年代に入植がすすみ、昭和35年頃には370人も住んでいた。その多くは酪農を生計の手段としていた。この走っている道路はそのころ舗装を誓願し、舗装化した昭和39年頃から人口は減り、今では僅か26人にすぎないそうです。

この地区に電気が通じたのも昭和39年頃だったそうです。運転手さんも豊糠小中学校の卒業生だそうで懐かしそうに話されました。豊糠小中学校は最盛期には100名の生徒がいたそうです。戦前はクローム鉱の鉱山があった、走っている道路もその鉱山との物資輸送の道であったそうです。

道の両脇に目をやると、廃屋や牛舎跡、使用されなくなったサイロが車窓に飛び込んで来ます。牧草の生えそろった所もあれば、荒れ果て雑草・雑木の所もあります。牛や馬は見かけず、牧草地は外国人資本の入った企業に買い取られ、牧草が売買されているとのことです。豊糠地区の酪農跡地は、ほぼ丸ごと買い取られてしまったようです。

テレビで北海道の水源地の土地が中国人に買い取られているとの報道がありますが、この地区もそれに該当するのかなと思いました。生活のために土地を売るのは致し方ないとしても、北海道の森林と水を守るために、外国人が買えないよう法整備を進めてほしいものです。

さて、帰宅後にクローム鉱山について調べてみました。次の四つが該当する鉱山のようです。
1.糠平鉱山 平取町貫気別 蛇紋岩K16ー3 クロム鉄鉱G34-2 霰石G50-3 灰クロム石榴石
2.八田鉱山 平取町振内 灰クロム石榴石B32 クロム鉄鉱 霰石
3.新日東鉱山 平取町岩知志 クロム鉱
4.日東鉱山 平取町 クロム鉄鉱 灰クロム石榴石 緑泥石

シャトルバス終点から林道あるきが辛いですが、林道脇の露頭に「かんらん岩」が見られました。「かんらん岩」はマグマの組成に最も近い岩石で、多くの鉱物を含んでいるので、ここの「かんらん岩」にレアメタルが含まれているのではないかと妄想しています。


さて、肝心の幌尻岳についてですが、「期待外れ」でした。何を期待したかというと「花」ではなく、北海道の百名山の中で唯一火山でない山、地塊と地塊が衝突して造られた日高山地の「岩」でした。「かんらん岩」の山頂や尾根を期待していました。

しかし、幌尻岳を構成していたのは火成岩の「はんれい岩」でした。それに火山岩屑も見かけました。地下深くで固まった「はんれい岩」だけでなく地上近くで固まった発泡痕のある火山岩があるということは、火山であったかもしれないという疑問が生じました。

もちろん地下深くで固まった証拠を示す岩もありました。下の写真の黒い針状のものは鉱物がゆっくり冷え結晶になったものに違いありません。

もう一つの疑問は「北カール」の地形で、これは本当にカール(圏谷)だろうか。窪地の西壁は急傾斜、東壁は緩傾斜と非対称、スプーンで掬ったような地形ではないのです。
今回残念なことにガスがかかっていたため戸蔦別岳に縦走せず、七つ沼カールや東カールはこの目で見ていません。地形図を眺めると、七つ沼カールや東カールは、カール地形のように感じます。

確かめに、もう一度登るかと問われれば「NO」と答えるでしょう。十数回の渡渉は他の百名山ない特徴ですが、それ以外は正直言って魅力を感じませんでした。
 

石原都知事

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 9月 5日(水)15時53分4秒
返信・引用
  この人の記者会見は視聴ごたえがありますね。
尖閣諸島に関する会見の模様を紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=-ODDD1ju4C4#t=13m

会見の一部↓

石原都知事
「NTVいる?日本テレビ。この間ね、あなたのとこの記者が突然ね、一社だけやって来たの。
それでね、どういう二ュースソースか知らないけどね、中国側がね『(日本)政府が (尖閣を)買ったうえで、何もしない、何も作らない、人も置かないっていうんだったら、 我々(中国政府)はこれ以上、尖閣について口出ししない』って言ったけど、
どう思いますか?って言うから。僕は初めて聞いたニュースだしショック受けた。
それがもしシナの政府が言ってきたとしたら、まさに内政干渉だしね。
そのねー他国が持っている領土の中に他国が何を作ろうが作るまいが勝手な話だけど、
『それをしないなら許してやる』みたいな話ってのは…。
どういうニュースソースなの?あれ。あなたのところで報道したんでしょ?あれ」

日本テレビ女性記者 「今日私は代理で来ておりまして、担当者が…」

石原都知事
「男の記者だったよ」「で、同じ局でわからないの?そういうこと」
「あのニュースだけど、他には出ないね。出ないとしたらガセか」

中国人女性記者
「ありますよ。中国の方では出ました。中国政府が秘密の要求を出して、それをするんであれば、日本が実際に管理するのは口出さない…という趣旨のニュースがありました」

石原都知事 「(苦笑)ね、おかしな話だね。あ、そうですか、向こうのニュースでは出てるんですか」

中国人女性記者 「一昨日ぐらいに」

石原都知事 「なんで日本のもって大きなメディアは報道しないのかね?」(
 

「アルプス・ヒマラヤからの発想」

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 8月25日(土)15時15分6秒
返信・引用 編集済
  表題は書籍の題名である。先日、なにげに本箱を見たときに目が合い、ハッと思い手に取った。
この書籍を購入したのは20年前だと思う。初版本が出て直ぐに買った記憶がある。
当時は(今でも同様かな)、読んでも地名や位置が理解出来なかった。地名は当然のことながらカタカナ、地図がないと地名の位置関係さえわからない。挿図はあるにはあるが十分でない。

著者は藤田和夫氏(故人)、著名な地質学者である。本は著者が旅した地域の紀行書であるが地質学の内容が記載されている。購入したのは、その地質学について学ぶためのものであった。
この本を読み、漠然とながらヒマラヤやアルプスへの憧れを抱いた。今年に入ってネパールやスイスに旅をした。
ニュージーランドから帰国して、直ぐにネパールのエベレスト街道に旅することを決めたのは、自分で気付かないものの頭の片隅にその憧れが残っていたに違いない。
そして6月末から7月始めにスイスに旅した。この時はヒマラヤとアルプスを比較して見てみたいという願いが確としてあった。

この本の中の「アルプス横断旅行」の項を読んだ。今度は地名やその位置関係が明瞭に理解できた。読み返してみて、実際に見たローヌ氷河との違いから、氷河の後退も判った。(ちなみに著者がアルプスを旅行したのは今から41年前、本の出版の21年前である。)何より尋ねた地名が出てくると懐かしく嬉しく思う。地質学の内容も、この目で見たことが理解をより助けてくれる。(うん、うん、と頷ける。)

テレビの旅番組も現地を訪れたことがあるかないかで、番組の感想も違っている。(英国へ旅したことのある家内はオリンピック番組に写し出されるロンドンを感慨深げに見ていたが、私は行ったことがないので判らない。)
紀行本を読んでも同様であろう。現地を旅した経験があるかないかで本の理解度が異なるに違いない。
表題の本には、アルプスの他に、インドのインダス渓谷やカラコルムからヒンズークシ、中央アジアのシルクロード、中国の雲南などの旅紀行も書かれている。まだ、全てを読み返していないが、読めば読むほど現地に旅したくなるに違いない。夢として抱えて歳をとるのか、どうか、さぁ、どうしたことやら。
 

「何か大事なものを失った」

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 8月24日(金)23時24分27秒
返信・引用 編集済
  カチンと来る言葉です。

先日も映画監督がフィルムからデジタルへの移行に関して発言したようだが、「何か」では許されない。
「何かを紛失した」、「何かを盗られた」と言って警察に訴えても相手にされないだろう。「何か」でなく、紛失したもの、盗られたものを具体的に聞かれるに決まっている。
この場合も失ったものを具体的に示されるへきだと思う。

このように具体的なもの、証拠を挙げないで大騒ぎする人が多すぎる。放射線のことについても「良く知らないので、何か怖い」というレベルであろう。福島産の野菜や果実を未だに避ける人が多い。放射線量を測定して何ら問題が無いというのに、「何か怖い」とは、何におびえているのか。

冒頭に記した映画監督の言葉を察するに、要は新しい技術についていけない、新しい技術では旧来の仕事の手順・方法が通用しないこと、本人が対応できないことの弁明としか思えない。それを「何かを失う」という言葉で自己弁護するとは情けない。

紙に書かれた手紙やハガキ、あるいはFAXで連絡する時代から、PCや携帯電話でメールする時代に変化した。そのことで「何か大事なものを失ったようだ」と言うのなら、笑止千万である。失ったのは「過去の方法」と言えばよい。それをもったいぶって「大事な何か」では、カチンと来る。
要するに、ただの「感傷」に過ぎない。「失った」ではなく、「感傷」を「得た」である。

自分も老いてきたから過去への「感傷」が出てこよう。しかし、「何か大事なものを失った」とは言いたくない。
 

橋下徹市長の慰安婦問題に関する記者団とのやりとり

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 8月24日(金)22時43分4秒
返信・引用 編集済
  産経新聞政治部記者の阿比留瑠比さん(前首相官邸キャップ)のブログからの転載です。(2012/08/24の記者会見の記録なので転載を許されると信じて。)


Q赤旗 慰安婦問題だが、橋下市長は強制の事実は確たる証拠はないといったが、河野談話をみていると強制の事実を認めているが見直すべきか

橋下氏 2007年の閣議決定はどうか。鳥の目というか全体の視野を持たないと。2007年の閣議決定では、強制連行の事実を直接示す記述は見当たらなかったと、そういう閣議決定が安倍内閣のときになされている(※「政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」)。僕は歴史家ではないから、すべての資料について、古文書等含めて行政文書を含めて全部調べたわけではないので、政治家として93年の河野談話と、それについての2007年の閣議決定、この2つをもとにして自分の意見を組み立てている。

河野談話でいろんな表現はあるけれども、しかし2007年に強制連行を示す、それを裏付けるような、直接の証拠はなかったということを2007年の安倍内閣のときに閣議決定がされているわけです。そうであれば河野談話の中身をもう一度しっかり疑義がないように内容を見直すのか、それとも2007年の閣議決定が間違ったのかどちらかですよ。

で、僕は2007年の閣議決定というのは、河野談話出した以降、日本政府が閣議決定をやっている以上は責任をもってやっていると思いますよ。河野談話は、閣議決定されていませんよ、それは河野談話は談話なんですから。

日本政府が、日本の内閣が、正式に決定したのは安倍内閣のときの2007年の閣議決定であって、そこでは慰安婦の強制連行の事実は直接裏付けられていないと、これは日本政府の決定です。河野談話は閣議決定じゃないですから、官房長官の談話にすぎない。

そういう2つの文書が出てきたときに、2つの政府からの意思表示が出てきたときに、官房長官の談話と政府の、内閣の閣議決定どちらを尊重するのか、どちらですかね、赤旗さん、それでも河野談話ですか、法的な位置づけ、一般論としてどちらが重いのか

Q ちょっとそれは、

橋下氏 そこをまず確定しないと

Q 一般論として、閣議決定が重い

橋下氏 当たり前じゃないですか。談話よりも、閣議決定に決まっている。閣議決定には、内閣全員の署名が必要なんですよ、これは。

Q 河野官房長官の談話は、政府もいろいろ調査して、いろんな資料にあたって出てきているわけですよね。

橋下氏 閣議決定もそうじゃないですか。どちらの調査に信をおかなきゃいけないんですか。談話なんていうのは、誰でも談話やってますよ。談話と閣議決定には天と地の差がありますよ。公の仕事をやっていれば、文書のポジションは非常に重要でね、市長が何か意見を出した、個人的な意見ですとか、意見交換のなかで出た組織として決定していないコメントですというのと、戦略会議できちんと決定した意見です、というのでは全然ちがいますよ。

官房長官談話というのは、官房長官の談話なんです。閣議決定は政府の決定なんですよ。官房長官談話は閣議決定してませんよ。ただ、僕は官房長官談話を今の段階で全否定できるだけの、歴史的な知識とか、歴史家ではないから全否定するつもりはないけど、しかし日本政府が2007年にやっている閣議決定の中身でね、強制連行の事実を示す証拠はなかった、と言っている。

証拠がないとなったなら、証拠をちゃんと見つけて来ましょうよ、ということです。吉田清治さんの著作も、あれも後で虚偽の主張だったということが話題になったりとか、

吉見(義明)さんという方ですが、あの方が強制連行の事実までは認められないとか、そういう発言があったりとか。まぁ、強制連行の事実については、いろんな意見ある中で、それでも日本政府は国家としての意思表示として2007年に強制連行の事実を裏付ける証拠はなかったということを閣議決定している。だから、僕は韓国側の方に事実の有無を問題視しているわけではないですよと、証拠の有無なんですと、日本政府が調べた限りでは証拠はなかったと。

それから、済州島の方の吉田清治さんの主張について、新聞社か何かが済州島で確認したら、そういう事実はないという報道が済州島の新聞社がしたとか、いろんな情報が調べれば出てくる。いろんな情報がある中で、強制連行の事実を裏付ける証拠があったかなかったかといえば、それは日本政府としてはそういう証拠はなかったといっているわけです。

それで今回、僕がこういう発言をしたら、韓国メディアは、証拠は河野談話といってきた。これは大変な、日本政府の大失態ですよ。河野談話は証拠ではないんですから。

僕ら裁判やるときに、事実の主張と証拠は別のもの。次元の違うものです。事実の主張というのは、証拠のあるなしに関わらず、事実として認識を表明すること。その認識を表明したことにかんして証拠があるかどうかというのは、証拠の問題なんでね。

だから河野談話というのは、事実主張の段階なんです。まだね。だって河野談話というのは、ああいうふうに認識を表明しただけ。証拠があるわけではないわけです。それを韓国側の方が、河野談話が強制連行を裏付ける証拠だと言ったというふうに言うのは、全く論理的に間違っている。だから、僕は韓国サイドの方に、強制連行の事実の有無についてね、証拠があるなら出してください、と言いたい。証言者はいろいろいたが、証言の変遷についても、いろんなところで出回っている。いまのところは日本においては客観的な証拠はない。韓国サイドのほうに証拠があるというんだったら、それを出してもらいたい。

河野談話で重要なことは、軍の関与、だから僕は軍の関与までは否定していません。そりゃ、慰安所という施設の性質からすれば、公的な管理は必要、衛生上、そして秩序上、それから戦時下という状況上、公的な管理は必要ですよ。今だって風俗営業は公安委員会の管理下にある、ある意味、慰安所という施設の性質からすれば公的な管理は必要。公的な管理があったということと、そこで働いていた慰安婦を強制的につれてきて無理矢理はたらかせていたかどうかは、別問題ですよ。

あと本人の意思に反してという言葉が河野談話のなかにあり、これを赤旗は問題にすると思うが、しかし本人の意思に反してというのは法律用語でも二つの意味があって、本人が不本意に感じているという意味と、第三者から強制的にやらされたということの意味が2つある。裁判なら、どっちかを確定するわけです。

自らの意思で行ったけど不本意だったという意味と、第三者に強制的に無理矢理させられたという意味と2つあって、どっちかはすごく重要なのに、河野談話をつくった作文者が誰か知らないけど、本人の意思に反してと入れちゃったから、不本意という意味か、強制の意味なのかはっきりさせずに入れちゃったから、これは大変な問題になった。だって強制の意味にとられかねないから。

だから河野談話というのはいろいろ問題あります。僕は今の段階で全否定するつもりはないけれども、軍の関与があった、軍が一定の管理をしていたのは、資料はいっぱいあり事実みたいです。しかし慰安婦が強制的に暴行脅迫を受けて連れてこられたかについては、そういう証拠はないと言っている。

あとは慰安婦とか、慰安所というのが倫理的にどうなのかという問題で、強制的に連れてこられたのでなければ、倫理的な問題で、倫理的にみればね、かわいそうだ、とか、不本意にそういう仕事に就いて心身共に苦痛をこうむったというのはかわいそうだという問題はね、人間としてそういう感情が起こるのは当然だと思いますけれども、強制的に連れて来たのでないという前提で、そういうしんどい仕事について大変でしたね、という気持ちを表すのは僕は否定しないけど、しかし強制的に連れてきたのではないということをはっきりさせた上で、そういう気持ちを表さないと、かわいそうですねという同情と、謝罪は別です。

だから河野談話は非常に問題で、僕はやっっぱり、ああいう形で自分の主張を、市長としてはいきすぎかもしれないが、維新の代表としてね、河野談話と2007年の閣議決定の2つの法的な文書をもとに僕の見解を述べたら、案の定、韓国サイドが強制連行の事実はね93年の河野談話だと言ってきた。これは日本政府としては大変な大失態で、ただちに是正すべきです。事実と証拠は違うんです。河野談話は証拠ではありません。2007年の強制連行を裏付ける事実はなかったという日本政府の閣議決定があります。

Q赤旗 証拠がないという政府の話は、公文書のことだろうと思うが

橋下氏 そうですね。

Q そうすると、ずれのない証言あると韓国サイドはいう

橋下氏 それを戦わしたらいい、金(学順?)さんという方ですかね、最初いろんな問題出された方は裁判まで起こしたけれども、実は自分は身売りされたんだと、日本の官憲に強制的に連れて行かれたのではなくて、いわゆる公娼制度とか、慰安所に身売りされたんだという事実も訴状に入っていたことあるし、いろんな証言あったり、いろんなものあると思うので、それを整理したらいい。

日本政府は公文書だけではないですよ、河野談話やる前の証言者にも聞き取りをやったわけで、その揺れというのは客観的な証拠になりえなかったという判断の下に2007年の閣議決定やったわけですから。

日本人なんだから、何も自分たちで証拠もないのに、悪い方に悪い方に考えることはないじゃないですか。しかし事実の有無をこの段階で確定しなくてもね、証拠をもう一回持って行ってね、日本政府はないと言っているわけですから、あるというなら赤旗が出してきたらいいじゃないですか、赤旗、いつも見てますから

慰安婦の問題は、2つの問題を間違っちゃいけない。強制的に連れてきた、これはね、あってはならない。もしそれがあるなら、誤らなきゃいけない。しかし慰安所という存在について、韓国側の主張がどっちかよくわからない、強制的に連れてきたことを問題視しているのか、慰安婦とか慰安所の存在を問題視しているのか、もし慰安婦とか慰安所を問題視しているのであれば、それは日本だけじゃないですよ、もっといえば、現代社会にあっても同じような状態、各国によって制度は違うけれども、いわゆる性を商売にすることは世界各国でもあるわけです。こういう問題について、それは倫理的によくないとか、いろんな経緯があってそうなったことはかわいそうですね、違う職業に就くならサポートしますよという話と、強制的につれて来たからごめんなさい、という話は別問題ですよ。

赤旗の記者は、今までに風俗に行ったことないのか。ないんですか、ないんですか、いままで、あ、そうですか。そしたら、まぁ、こんな所では言えないでしょうけど、世の中に風俗業なんていうのは山ほどあるわけです。倫理的に考え方はいろいろあるけど、それは強制的に連れてきて無理矢理働かせたということでなければ、それはもう倫理の問題ですよ、謝罪の問題じゃないです。

慰安婦の問題というのは、整理をして、慰安婦の問題、慰安所、これを軍が管理していた、軍の管理というのは衛生上や秩序の問題で管理しなきゃいけない、そういう施設だから、そういう話と無理矢理慰安婦をつれてきたのかという話を2つにわけて、いまは前者にしか証拠はありません。軍が慰安所を管理していました、というところの証拠しかない。慰安婦を強制的に連れてきたという証拠はない。そこを、あいまいに書いたのが河野談話で、これが問題で、慰安婦を強制的に連れてきたことを認めたのか、軍が管理していたことを認めたのか、それをはっきりさせていないというのが河野談話の一番の問題点です。これが日韓関係をこじらせている最大の元凶です。

結局こういうことをやって、領土問題にまで発展してしまった。僕は河野談話というものが、今回の日韓紛争のなかの一番の問題。日韓関係を修復する一番のセンターピン、これは韓国サイドからすれば激しい批判、反発くると思います。それでいいじゃないですか。

日本は日本でしっかり主張して、証拠のあるなしをしっかり検討して、証拠が出てきたら日本国家として謝らなきゃいけない、証拠ないんだったら、これは謝る問題ではなくて、それは大変でしたねと、そのときの状況でね、慰安婦、慰安所を、いろんな軍が併設していたり、性を商売にする場合もある、そういう問題として倫理的にどう考えるかであって、それは謝罪の問題ではない。

そこをあいまいにした日本政府の態度が、一番ダメなんですよ。そういう答弁を作ったことに関して、政治家がきちんと方針を示さなかったということが、今日における日韓関係をこじれさせている最大の原因だと思いますよ。

僕は歴史家ではないですから、河野談話と2007年の閣議決定の2つの日本政府の認識の表明をされている、この2つをもって、僕は立場を表明しているんですけどね

Q 慰安婦の証言は証拠にはならないのか

橋下氏 閣議決定ではなっていない。

Q 橋下さんは証拠にならないという認識か

橋下氏 証言の信用性があるかどうかですね。言ったから証拠とはならない。裁判でもそうです。証人が何十人、何百人出てきても、そこが信用性に足りるかどうかというところが問題。いろいろ慰安婦が証言者として出てきたが、しかし、それが40何人の証言者のうち半数近くが身売りだったとかいう話だったから、強制の話ではないという整理されたこともある。身売りの話と、家と業者の間での身売りの話と、政府が国が強制的に拉致、暴行、脅迫をもって連行したというのは別の話です。

Q 暴行、脅迫じゃなくて、だまして連れてきて…

橋下氏 それは誰がだましたんですか

Q 業者とか含めて…

橋下氏 業者は国じゃないですよ

Q 軍の関与で業者がつれてきているという事実があります

橋下氏 その証拠はないです。出ているものはないです。

Q だまされて連れてこられた場所が慰安所だった場合も強制にはあたらないという考えか

橋下氏 それは日本政府の話じゃないですね。民間業者と慰安婦の話ですね。

Q 軍の関与で

橋下氏 軍が関与していたのは施設を秩序と衛生管理上の問題から、管理していたのであって、慰安婦をだまして軍が連れてきたという証拠はない。

Q もし、それが証言としてあったとしても、証拠とはならないのか

橋下氏 だから、先ほどから繰り返して言うが、証言が採用されるかどうかは信用性の問題ですから。聞き取り調査をして、本当にそれが信用性あるのかどうなのか、事実と照らしてね、それから吉田清治さんの本、何というタイトルでしたっけ(「私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行」か)、要は吉田清治さんという人が、女性を縄でくくって連れてきた、自分はこういうことをやったからごめんなさい、ということを言ったところから問題になったわけでね。しかし、吉田清治さんがいくら言っても、実際に済州島で現地調査をやったら、照らし合わせたら、そういう事実はなかったということになって、吉田清治さんがいくら悪いことやった、韓国の女性を無理矢理つれてきて強制的に慰安所で働かせたんだと言っても、吉田清治さんの言っていることは虚偽ですね、となったわけです。

証言はしゃべったからすぐ証拠ではなくて、事実と照らし合わせて信用性がどうなのかという信用性をチェックしなきゃいけない。いま慰安婦問題で、強制連行があった、あったと言っている人たちは、客観的な証拠はない中で、本人たちの証言で強制連行があったといっているが、その証言内容をしっかり精査する作業を韓国政府の方も日本政府もしっかりやらないといけないと思います。

日韓紛争の根底には、慰安婦問題があるわけだから、日本政府も領土問題で激しい応酬を繰り返していますけども、結論としては、韓国の実効支配を覆すところまではなかなかいかないのだから、こういう機会をとらえて、根っ子にある従軍慰安婦問題については、日本と韓国でしっかりと証拠の有無について、論戦すべきだ。ここをうやむやにするから、いつまでたっても日韓関係が成熟しない。

だから、日本人というか、日本政府の方は2007年の閣議決定で強制連行の事実はないという、そういうスタンスで韓国に臨む。韓国は韓国で、強制連行の事実なのか、慰安所の問題なのかわかりませんけれども、日本はとんでもないことをやったということで臨む。

そりゃ、日韓、レベルの高い関係にはならない。従軍慰安婦は、強制連行の事実について証拠があるかどうかを確認する。それで強制連行の事実がない場合は、慰安婦や慰安所をどう考えるのか、当時の社会的な状況、背景から、慰安府や慰安所をどう考えるかを整理する、その作業が絶対に必要だ。

93年の河野談話はなんかうやむやにしてしまって、強制を認めたんだか、謝ったんだか、何の事実を認めたのか、どの部分を謝ったのか、うやむやにしたような形で、最悪ですよ。

2007年に閣議決定したんであれば、河野談話を僕は全否定はしないけれども、内容をきちんと明確に確定して、韓国の言い分を聞いてね、証拠のあるなしを日韓でオープンでやりあったらいいじゃないですか。とことん腹の中にたまっているものを出し合って主張をぶつけ合わないと、双方の関係がレベルの高いところにいきませんよ。

Q 日ごろ外交問題は慎重に発言するが、この問題は、どうしてここまで突っ込んで発言するのか

橋下氏 そりゃやっぱり、韓国大統領の現状維持の外交の大原則を踏み外したところがある。野田首相との間で、慰安府の問題、首脳会談の間でどういう議論になったか、僕は知りませんけども、そりゃやっぱり、日本も1965年の日韓基本条約で解決済みというだけじゃ、やっぱりダメ。裁判所の形式論理的な判断の下し方であって、従軍慰安婦について、どこが問題で、強制連行の事実があったのかどうなのか、いまの日本政府の立場はこうで、じゃあ証拠の有無についてきちんとやりましょうよとか、そういうコミュニケーションがあったのかどうなのか、僕はわかりませんけども、僕は韓国の大統領も野田首相もね、きちんとコミュニケーションとらずに、どんどんエスカレートしていく。

だけど、そんな中にあったとしても、やっぱり領土問題について現状維持を壊すのは韓国にも非があると思うし、いま応酬合戦になっていますけれどもね、やったところで実益ないわけですから、早くこの部分は収束を図って、でも、いうべきこととやるべきことはしっかりやらなきゃいけないけれども、でも、そのあとにね、慰安婦問題、93年の河野談話と2007年の閣議決定の整合性と、慰安婦の強制連行の事実の有無はね、しっかりやらないといけない。ここにエネルギーをさかないといけないと思っている。

本来は大阪市長の立場で言うべきではないけど、現状維持を韓国サイドの方が崩してきた。大統領が竹島に、これは不法上陸ですよ、わが日本国の立場からすれば、何で訪問なんて言葉を使うのかわかりませんけれども、わが日本国の立場からすれば不法上陸、そうなれば根っ子の部分については一政治家としてしっかり発言しないといけないと思っている。

しかし、隣国同士なので、早く事態の収束を図って、それから一番の根っ子の部分、慰安婦の問題が、両国の国民の心の中にくすぶっていることは間違いないから、この部分についてね、どうくすぶりを治めていくかといえば、やっぱり腹に入っているモノを表に出して、何が問題で、この問題についてはどうなんだというところをはっきりと明らかに、あいまいにせずに決着すべきだと思う。それが日韓関係をレベルの高いものにすると確信している。(了)

 

白馬岳から祖母谷温泉(ばばだにおんせん)

 投稿者:新月  投稿日:2012年 8月22日(水)21時22分28秒
返信・引用
  2012年8月

白馬岳の登山口にある栂池ヒュッテにはいつかは泊まりたいと思いながら長年通過してきた。年齢的にもそろそろ泊まっておこうと予約して今回宿泊した。隣には高山植物園もあり、風呂もある小体な施設で満足であった。

さて、翌朝ヒュッテの朝食は6時半ということなので、依頼した弁当を食べてから5時半に出発した。好天のもと順調に歩を進め7時間35分をかけ13時5分に白馬岳山頂に立った。山頂は多くの登山者で賑わっていた。白馬山荘に入り明日の用意をしてから、明日下る祖母谷温泉への分岐を山荘から10分ほど下り確認した。

それから山荘に隣接する展望レストラン「スカイプラザ白馬」に入り生ビールを飲んだ、美味しかった、ほんとに美味しかった、もう一杯飲んだ。このレストランもできた当初は登山靴で入るのが躊躇われるほどの気品があり、客も静かにビールを飲み、コーヒーとケーキを楽しんでいたが、今は居酒屋風になっていた。

昨夜は山荘を吹き抜ける風で時々目覚めていた。朝食は5時からということなので食堂の前に4時半から並んだ。予想した通り4時45分に食堂が開いた。食事を摂り冷たいガスが流れる中、5時半に出発した。今日の天気予報は午後から雨である。

歩きにくい岩礫の道を清水岳(しょうずだけ)に向かう。すぐに雪田がありテント場からきた大学生のワンゲルがガスの中、影絵のように現れ消えていった。この12名のパーティーとは最後まで抜きつ抜かれつであった。ガスで展望がない道をとぼとぼと歩き、アップダウンを繰り返しときおり見せるコマクサに慰めながら進んだ。ガスが流れ始め小旭岳の三角錐が泰然と聳えていた。

草原が広がる清水平(しょうずだいら)に7時55分に着いた、山荘を出てから約2時間30分である。ここまでで時間的には全コースの4分の1なので、祖母谷温泉までは10時間と見積り15時30分到着を予想した。清水岳(しょうずだけ)は気がつかないで通過したようである。

展望があるはずの稜線上の道ではガスっていたが、道が樹林帯に入る頃より日差しが出て花々が目につくようになった。花に詳しい友人は一つ一つ名前を云いながら歩いている。直径が5ミリに満たない花を見つけてわたしに教えてくれるが、よくもこんな小さな花が目に入るものと感心しきりであった。清水岳を過ぎると道は樹林帯に入り日差しを遮ってくれるので有難い。

左手には雄山その奥に剱岳が遠望でき、振り返ると白馬岳、唐松岳、五竜岳が望まれた。不帰岳避難小屋には10時に着いた。この小屋から振り返る白馬岳の稜線は遥か高く、以前、会山行(平成20年8月実施)でここを登った会員の気力は天晴である。白馬岳の標高2840m、この避難小屋2054mそして祖母谷温泉が750mであるからその標高差は2000mに及んでいるのである。

避難小屋はしっかりした作りで中は清掃されていて、部屋に渡した紐には誰も居ないのに寝袋が二つ干されていた。そばには水場もあり緊急時には十分使用できるように思われる。避難小屋を過ぎると急な下りが始まる、沢を渡りなおも進むと時間的に見て「百貫ノ大下り」と思われる場所を下り始めるが、道はしっかりしていてロープや梯子もあり問題はない。しかし登ったら難儀な道である。

急斜面から流れ落ちる幅1メートルほどの沢を二つ渡るが、増水時の渡渉は危険なので注意したい。祖母谷温泉あるいは白馬岳を出発するとき前日または当日朝から降雨があるときはこのコースの通過は慎重に判断したい。今日午後は30パーセントの雨予報が出ていたが終日降らなかった。

長い下りも終わり平坦な山道を曲がったとき突然、名剣沢の沢音が聞こえ、白馬岳からの下りも終わりに近づいたことを知る。高らかに響く心地よい沢音は、10時間をかけ標高差2000メートルを下ってきた者への、スタンデイングオベーションのようであった。
祖母谷温泉には15時40分に着いた。白馬山荘を出発してから10時間10分である。

2011年の9月に唐松岳から祖母谷温泉へ下り、今年2012年8月に白馬岳から祖母谷温泉に下った。唐松岳からの下りは明るいコースであるが9月は暑かった。今年の白馬岳からの下りは清水岳を過ぎると樹林帯の道で日差しは遮られるが暗い道である。しかし、花の種類は多く珍しい花も多いようである。歩程はわたしの足で両コースとも10時間であった。

☆コースタイム
第1日目:新宿駅発 → 白馬駅 → 栂池ヒュッテ泊

第2日目:栂池ヒュッテ5:35乗鞍岳8:10~8:15 白馬大池8:25~8:30小蓮華岳11:05~11:20三国境12:10~12:15白馬岳13:05~13:25白馬山荘13:40泊

第3日目:白馬山荘5:30小旭岳7:05~7:10清水平7:55~8:05不帰岳避難小屋10:00~10:20水場11:15~11:20百貫ノ大下り入口?13:00~13:05名剣沢出会い15:15祖母谷温泉15:40泊

第4日目:祖母谷温泉8:00欅平8:30着9:16分発で帰京
 

お世話になりました

 投稿者:新月  投稿日:2012年 3月14日(水)19時22分17秒
返信・引用
  秋田米さんは平成16年春に入会されました。そして、その年の7月下旬わたしが担当する、上高地 → 槍ヶ岳 → 燕岳 → 中房温泉の縦走に参加されました。

ザックが異常に思いので尋ねたら水4リットルを持っているというので2リットルに減らしました。体力のある方というのが初対面の印象でした。

ビールが大変好きなようで、槍の小屋では長椅子に座り、ロング缶を左手で持ち、右側の椅子上には生ビールの大きなジョッキがあり、下戸のわたしはビックリしました。推測するに缶ビールを飲んでいたら小屋に生ビールがあることを知り、堪らず注文したのでしょうね。

退会したからといって山の道具は処分しないように、まだ人生長いですからね。これかもビールが美味しく飲める日々が続くように祈っています。

元気で。ありがとう。
 

つらいなぁ~、寂しいナ。

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 3月10日(土)16時38分15秒
返信・引用
  > No.1718[元記事へ]

秋田米さんへ

もう長いことお顔を会わせていませんが、お変わりありませんか。元気で仕事をしておられるとのこと安心しました。

そうですか、退会ですか。寂しく思いますが、ご事情がお有りのことでしょう、仕方ありませんね。
定年を過ぎたら、また、ご一緒に山に行ける機会があるかなぁ~。そうなることを期待しています。

お忙しいことと存じますが、お身体に気をつけておすごしください。
 

ありがとうございました。

 投稿者:秋田米  投稿日:2012年 3月10日(土)11時15分49秒
返信・引用
  皆さん ご無沙汰しております。この度諸事情があり退会することにしました。
会に入会して再登山を始めたこの5年間はわたしにとって忘れられない沢山の思い出ができました。そして会の皆さんと知り合えたことも一生の思い出です。
最近は山にも行けない毎日ですが、元気で仕事はしてます、あと2年半で定年 時間ができたら低い山にでも行けたらと思ってます。毎日通勤で見る富士山、丹沢、奥多摩、そして日光の山並みに元気もらってます。
皆さんのご活躍を応援してます。
沢山の思い出ありがとうございました。 
 

茨城県北部の地震について

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 3月 6日(火)17時00分33秒
返信・引用
  我が山の会で茨城県北部の山の山行が幾つか計画され実行されています。最近になっても茨城県北部を震源とする地震が時折発生しています。あの東北太平洋沖巨大地震の影響と考えられていますが、内陸地震について考えてみました。

まず日本列島の成り立ちを復習してみます。皆様、ご存じのように日本列島は西日本がユーラシアプレート、北日本が北米プレートの上に乗っています。
東北太平洋沖巨大地震は北米プレートと太平洋プレートの境界で起こったプレート型地震と報道されていることは皆様ご存じの通りです。
そして次に起こるであろう巨大地震として、東海・東南海・南海地震が盛んに言われていますが、これはユーラシアプレートとフイリッピン海プレートの境界を震源とすることも報道の通りです。

さて前置きは程々にして、3月11日の東北太平洋沖巨大地震の地震の後に起こった,比較的大きな内陸地震について振り返ってみます。地震後から2011年3月19日までに,内陸および日本海沿岸域で発生したマグニチュード6以上の地震は,4つあります。

一つは長野県北部地震ですね。3月12日03:59に栄村を震源として起こっています。栄村は苗場山や鳥甲山の山行の折りにこれまでも何回か宿泊されています。
その1時間も経たない時に3月12日04:46秋田県沖でマグニチュード6.4の地震が起きています。これは長野県北部地震よりも大きなものでしたが、被害も少なく、あまり報道されませんでした。
次に起こったのが、3月15日22:31静岡県東部地震、これは富士宮市では震度6強を記録しました。この付近を故郷とする人が我が山の会の会員にもいます。また、富士山噴火と関連して騒ぎになっていましたが、今のところその心配はなさそうです。
この3つの地震の震源は、それぞれ北米プレートとユーラシアプレートの境界に位置しています。

そして次に起こったのが茨城県北部地震です。3月19日18:56にマグニチュード6.1を記録しました。下に震源の地図(産業総合研究所作成)を示していますが、棚倉構造線の近くを震源としています。棚倉構造線というのは、中央構造線や糸魚川-静岡構造線についで大きな構造線で水戸市から猪苗代湖を通り酒田市付近にのびている大きな地層の境界です。

こうしてみると、皆さんお気づきのように、これらの地震は,東北地方太平洋沖巨大地震によって,内陸部の応力場が大きく変化したことによって発生したと考えられますね。地震の研究機関もその可能性を指摘しています。
東北地方太平洋沖巨大地震によって土地が地盤沈下した報道はご存じでしょう。その地盤沈下とともに地盤が東側に大きく移動したことも知られています。これも応力場の変化によるものです。

さて、では今後、茨城県北部で起こる地震が、これらの地域の山行の折りに起こっても大丈夫かということになりますが、これまでの地震では、多少交通機関に影響が出ているものの、土砂崩壊などは報告されていないようです。大きな樹が倒れるなどしていたら、多少の崩壊は起こっているかもしれませんので、気をつける必要はありそうです。
 

究極の選択

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 2月18日(土)22時43分28秒
返信・引用 編集済
  今夜のNHK番組「マイケル・サンデル 究極の選択」(21:00~22:10)は、非常に考えさせるものだった。
最初は、いつものような討論番組かと思っていたが(私はNHKの討論番組は見ない)、司会者がいつもとはモノが違っていた。

テーマはお金で買えるもの、買えないものを実例を交えながら、消防のような公共サービスや妊娠代行のような倫理問題などについて、ゲストに賛否の意見を問うていた。
私の結論は、経済格差による不平等はあってはならないし、国・民俗の道徳観の違いが存在するとしても、究極的には金銭で解決せざるをえないこともあり、そのことを容認しないと国や社会が存在できないだろう。
全ての人に平等を保障することは困難であり、全ての人の道徳観が一致していなければならないというのは間違いであると思うから、金銭的解決も認めざるを得ないと思う。
したがって司会者の結論の「市場原理の取引ではなく、善い社会とは何かを問うべし」には違和感を持った。
「市場原理」と「金銭的解決」は異なったものである。「命は売買できない」が、交通事故のように「命を補償金で解決」せざるを得ないように金銭的解決は容認せざるをえず、そのような金銭的解決までをも「市場原理の取引」とは言わないだろうと。

視聴しているときは集中しており深く考える隙はなかったが、少し時間を置いて自分なりに考えると、所詮は視聴率を取るための人寄せ番組、縁日の大道芸人と同列なのがテレビかなと。
最後まで飽きずに見てしまったが、最近になく面白くて質の良い「人寄せ番組」だったなぁ。民放とは大道芸人の質が違う。
 

ニュージーランドトレッキングツアー

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 2月 8日(水)20時39分50秒
返信・引用 編集済
  1月22日から31日まで、クラブツーリズムのニュージーラントレッキングツアーに参加してきました。
数年前「自分にご褒美」という言葉が流行りましたが、ご褒美というわけでもありません。仕事を止めたら時間が自由になりましたので、ヨーロッパにトレッキングに出かけようと考えていました。
ところが、いざ仕事を止めたとたん、顔面神経麻痺という思わぬ病気になり、申し込んでいたツアーをキャンセルせざるを得ませんでした。
今年の初夏まで待つことが出来ず、昨年にミルフォードトラックのトレッキングツアーに申し込み、山の会の仲間を誘って行ってきた次第です。

ブログに、ニュージーラントレッキングツアーの写真記録を掲載しました。以下の10本に整理しています。
1.ニュージーランド南島の鳥
2.NZ ミルフォードトラックの花
3.NZ ミルフォードトラック 初日・二日目
4.NZ ミルフォードトラック 三日目・四日目
5.NZ マウント・クック国立公園の花
6.NZ マウント・クック国立公園の氷河
7.NZ ミルフォードトラックの氷河 1
8.NZ ミルフォードトラックの氷河 2
9.NZ ミルフォードトラック 五日目 クルーズ
10.ニュージーランド南島の旅 あれこれ
 

「赤ワインは健康にいい」は捏造

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 1月14日(土)21時47分10秒
返信・引用
  米コネチカット大学(University of Connecticut)は12日、同大所属の教授について、科学専門誌11誌に発表した赤ワインの健康効果を主張する論文に100を超えるデータの改ざん・捏造があったことが明らかになったとして、懲戒解雇したと発表した。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2850466/8291778

テレビの健康番組は、この論文を根拠にNHKをはじめとし、殆どの局が健康・医療番組で「赤ワインは健康にいい」と叫んでいたが、視聴者にどう責任をとるのかな。
 

2日、3日はテレビ漬け

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2012年 1月 3日(火)22時49分21秒
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  箱根駅伝の5区山上りは標高差864mという、コース最高点まで18.6Km。これを選手達は約1時間で走るのだから凄いの一言につきる。この標高差、距離は登山ならば3時間以上かかるに違いない。

なんでも筋肉は85歳までは鍛えられるという。三浦雄一郎氏は70歳7ヶ月でエベレストに登頂したそうで、そのための訓練は相当のものだったらしい。足にまで重りを付けて毎日歩いたという話を聞いている。

私も筋肉を鍛えることを今年の課題にしました。1年間でどのくらい筋肉隆々になるのか挑戦です。
筋肉は鍛えられても頭脳は衰える一方の高齢者ではあるが、少しは知識の幅を拡げなくてはと、箱根駅伝と池上彰の現代史講義をチャンネルを代わる代わる替え、2日、3日は朝から夕までテレビ漬けでした。
(カミサンは池上彰の現代史講義一本を通しで視聴した様子です。)

筋肉を鍛えても痴呆になったのでは生きている意味がないと思うので、いかに痴呆に成らないようにテレビと接するか、これが二つ目の課題です。
 

YYGGさんに続いて

 投稿者:MIKE  投稿日:2012年 1月 3日(火)14時49分54秒
返信・引用
  1/15に日比谷公会堂にて行われるデキシーランド・ジャズの演奏会に行く予定です。
学生時代殆ど毎日のように新宿/渋谷のいいレコードを演奏している喫茶店に入り浸りで楽しんでいました。
久しぶりでジャズのシャワーを浴び青春を取り戻したいと思っています。いい音楽は単なるノスタルジーのみでなく元気と行動力の源泉です。
 

趣味の押しつけ・第二弾

 投稿者:yygg  投稿日:2012年 1月 3日(火)11時25分10秒
返信・引用
  まずは次のアニメをご覧ください

http://www.youtube.com/watch?v=tj5pz6wm_iI

注目をしてほしいのはバックに流れている曲です

映画など劇的な効果を盛り上げるために度々使われている曲です

聴いた方もいらっしゃるでしょうね

カール・オルフの作曲したカルミナ・ブラーナの序奏の部分で

映画製作者はこの曲によほどのインスピレーションを刺激されるのでしょう

これだけの名曲なら、誰でも興奮をもたらすと思い

ある時、得意になって知りあいの二人に聴かせたことがあります

が、反応はゼロ。キョトンとした顔をしていました

人はそれぞれ、感じ方もそれぞれ、趣味の押しつけなどもっての他!!

全曲となると、聴いた方もグッと減るでしょう

お正月休みを持て余していたら暇つぶしに聴いてみてください

http://www.youtube.com/watch?v=QEllLECo4OM

さて、最後の一曲。実は50年近くは聴いていなかったでしょうか

まったくもって you tubu様々です

窓辺にたたずんで星空を眺めていたら、ホラ、流れて来るでしょう、この曲が

http://www.youtube.com/watch?v=Dl_BK8kmsN4

今は、このような音楽は、はやらんでしょうね

この曲から私の♪遍歴がはじまりました

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます

今年もよろしくおねがいします
 

5つの疑問で 宇宙の謎に迫れ!

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2011年12月29日(木)20時58分24秒
返信・引用 編集済
  大晦日は、この番組を静かに鑑賞しよう。
http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=11w18820111231

元旦~3日は、ナノ・レボリューション(3回シリーズ)を観ようと思うが放送時間帯が深夜では無理かな。
http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=11w19300120120101







 

マヤ文明 五千年のメッセージ

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2011年12月28日(水)22時43分19秒
返信・引用 編集済
  NHKの年末特別番組「古代文明 冒険紀行」と銘打った「マヤ文明 五千年のメッセージ」を観た。
観終わって腹が立ってしょうがない。“マヤの根本思想に触れる冒険ミステリー紀行で、マヤの予言”の噂の真実を探るために女優が旅するという内容だが噴飯もの。

天文学と建築技術の証として紹介されたジャングルの中のピラミッド(世界遺産パレンケ)からスタートしたので興味深く観ていたが、ピラミッドの中に祀られた王の棺にトウモロコシの神が描かれているという。なぜ熱帯雨林に乾燥地の作物のトウモロコシがという疑問に全く触れず、南のグアテマラのマヤ山脈の住民のトウモロコシ畑を紹介し、古代人の主食がトウモロコシであったと言うだけ。

次は一転して北のユカタン半島の低地のセノーテ(カルスト地形のドリーネの底にある地底湖)に沈んでいる人骨を宗教上の生け贄と紹介し、再びジャングルのピラミッドに戻り、壁画に描かれているのは生け贄が生き返るという神話だと言う。その神話は仏教の輪廻に似た「循環」だと、それがマヤの根本思想と言って番組は終わる。

一体なんなんだ、この番組は、観終わって次第に怒りが増してきたので、ついここに書き込んでしまった。
NHKの年末特別番組としては、23日の金曜日に放映された「人類進化 はるかな旅」に感動しただけに気持ちが収まらない。

「人類進化 はるかな旅」は最新研究成果を紹介し20万年の人類進化のドラマを描いていたが、特にインドネシア東部のフロレス島で発見されたホモ・サピエンス亜種「小型人類 ホモ・フローレシエンシス」が約1万8000年前に存在していたというのが良かった。
但し、番組中のミニドラマや3人の中年女性の会話には辟易し、「人間の本質とは何か」を教えてくれる旅と言うのが気にくわなかったが。

「根本思想」だの、「人間の本質」だのというのではなく純粋に科学番組として紹介して欲しいものだ。

 

婚姻率が下がったのは誰のせい?

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2011年12月13日(火)22時37分16秒
返信・引用
  放射線の話は、もう止めて、結婚線の話を一つ。
婚姻率が下がった要因分析、共感を覚える分析が日経BPのページにありましたので紹介します。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20111208/293108/?ST=career&P=1

下に二つのグラフを転載しました。最初のグラフは「婚姻率が下がった要因はお見合いが激減したから」というもの。
二つ目のグラフは、「歳を重ねると人を見る目が養われるが、歳を重ねるにしたがい自身の価値は下がる」というもの。

いつまでも結婚しそうにない子は、親が相手を見つける努力をしなければならない。特に親自身が見合い結婚だったならばなおのこと。
歳を重ねた子をいつまでも同居させていてはならない。若いうちから一人暮らしをさせれば寂しさから異性を求め、恋愛する度合いが高まる。
以上の2点が私の感想。
 

上高地 奥又白池(おくまたじろいけ)

 投稿者:高柳  投稿日:2011年11月20日(日)20時15分43秒
返信・引用
  山行日 2011年9月27日~28日

奥又白池。ポピュラーな池ではありませんが、あなたが行ってみたいと思う日がきたときのために記しておきます。

わたしにとっては思い出の幻の池で、二十歳代のころ山岳会の先輩から「行かないか」と云われ返事に迷っていると「行っておいた方がいいよ」と云われ行くことにした。そして池で一泊するのでその用意をするように指示された。

わたしを含めて4名が、新宿から夜行列車に乗り、新島々でバスに乗り換え上高地に着いた。歩き始める前にザイル等の登攀用具を渡され、ハカリでしっかり20キログラム背負わされた。ボッカに利用されたらしい。

登りついた奥又白池はガスに霞んでいた。テントに泊まり翌日も池は亡羊としたガスの中にあった。先輩から登攀の予定を変更するのでザイルを2本持って下山して欲しいと云われ、ザイルを背負って帰京したが何とも納得のいかない山行であった。先輩達は湖畔で3泊したようである。

あれから40余年、今回は新宿を朝出発し上高地から徳沢園まで歩き徳沢園で泊まった。行動日の明日天候が悪いときは連泊して天候の回復を待つことにしていた。池までの道は所々岩をよじ登る道で降雨の場合、池まで登っても下りは滑落の危険があった。

幸い当日は朝から良い天気で徳沢園(標高1562m)を6時に出発する。新村橋を渡りパノラマコースを行く。涸沢への分岐(1880m)に7時40分に着いた。正面に松高ルンゼを見て右の岩に取付く。見上げると登る道はとんでもない急斜面で、歩く道ではなく、よじ登る道であることが分かる。

しかし、登り始めると見た目よりは登りやすく土の道もある。岩を直登し、あるいはトラバースし、ときには笹を掴み2時間も登ると突然目の前に奥又白池があった。40余年前に描いた幻の池である。時間は10時、小屋を出てから4時間であった。 奥又白池は周囲230mぐらいの細長い小さな池で、周囲にテントが一張りあった。

池は前穂高岳の棚のような所にあり、標高は2480mである。見上げると前穂高の本峰が見える。池の周辺は草紅葉が始まっていた。目路はるか蝶ヵ岳方面も良く見えていた。じっとしていると日は射しているが風は冷たい。あのときの先輩達はどうしているかな、感慨に耽りながらコーヒーとパン、チーズで昼食とした。

下山は同じ道を戻った。今日は晴天なので良いが降雨のときはやはり危険な道である。涸沢への分岐まで下りると、緊張感が緩みホットして30分ほど休憩した。秋が近い青空には白い雲が浮かんでいた。徳沢園を経て上高地に午後4時半に着き、その日のうちに帰京した。

<覚  書>

*現在この奥又白池までの道と涸沢に抜けるパノラマコースは環境庁が入山禁止を検討していて、事故が発生した場合、消防(救助隊)を出さないという話もある。

*池への登山道の手入れは全くされてなく、通常の登山道であれば梯子やロープが設置される箇所に何も補助具がない。また、薮の箇所もあり赤いペンキも散見されるがかすれている。

*降雨のとき、あるいは降雨が予想されるときは池には登るべきではない。

*天気さえ良ければ難しいコースではない。

☆コースタイム

徳沢園6:00涸沢分岐7:40~7:50 奥又白池10:00~10:25涸沢分岐13:00~13:30徳沢園14:30上高地16:30

 

50Kmを 2時間30分

 投稿者:わくちゃん  投稿日:2011年11月18日(金)17時04分31秒
返信・引用 編集済
  マラソンの記録でありません。ママチャリでのサイクリングの記録です。
入間川の堤防沿いのサイクリング道路が全長約23Km、我が家からサイクリング道路まで約2Km。これを往復しました。それで50Kmです。
年に数回は走っているのですが、河川敷には様々な施設(芝生公園、サッカー場、野球場などなど)があって、花を撮ったり、鳥を撮ったり、スポーツを眺めたり、単にのんびり走ったり、時間を計測したことがありません。
一昨日は風が冷たく強かったので、朝のスタートを見合わせ、11時過ぎに早い昼食とし、少し暖かくなった11時45分に出発、帰宅したのが14時25分。途中休憩が約10分で2時間30分です。
往きはもろに向かい風、還りも風を受け、最後はヘロヘロ、計測のため、目一杯走って平均速度は約20Km/時。

それにしても、42.195Kmを2時間数分で走るマラソン選手は凄いと思います。
 

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